2007年9月26日水曜日
2007年9月25日火曜日
2007年9月18日火曜日
Berlin 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
その日ジョルジュスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に出会った。場所はベルリンの国立新ギャラリーの地下のギャラリー。印象派と呼ばれる作品はその多くが明るい。彼らが躍動した時代あらゆる分野で扉が開かれ、美術の世界も新しい時代の到来への予感に溢れていたということだろうか。この「グランジャット」は白い下地に点描で描かれていていて尚更ら明るい。もしキャンバスに近づけば近づくほど全体からは遠ざかっていく。木を見て森を見ずということになろうか。
この作品は本来ニューヨークのメトロポリタン美術館の所蔵品だ。その日のギャラリーは「アメリカに渡ったフランスの印象派たち」なる企画展の真っ最中だった。この建築もまた「アメリカに渡ったドイツ人」であるミースファンデルローエによるものだ。これはハードもソフトも遥遥新大陸から旧大陸への里帰り事業なのだ。
Bern 熊
スイスの首都はベルン。同じドイツ語圏のチューリッヒやフランス語圏のジュネーブやローザンヌのほうがよほど知名度がある。
アメリカ人作家ウイリアムフォークナーの短編集「熊」にはタイトルにもなった野生の大熊が登場する。この世のものとは思えぬほどの圧倒的な存在でその熊が住まう森と一体となっているそんな超越的な熊が描かれている。
ベルンというのはドイツ語で熊である。その昔現在のベルンを建設するにあたって猟をして最初に獲物になった動物の名前で呼ぼうとなったらしい。最初の獲物が熊だった。現在ベルンの町の外れの一角に熊が見世物とし飼われている。フォークナーの熊とは程遠いまるで物置きに置かれた着ぐるみの熊のようだ。しかしこの街誕生秘話を耳にすると誰もがフォークナーの熊を思い出すことだろう。
アメリカ人作家ウイリアムフォークナーの短編集「熊」にはタイトルにもなった野生の大熊が登場する。この世のものとは思えぬほどの圧倒的な存在でその熊が住まう森と一体となっているそんな超越的な熊が描かれている。
ベルンというのはドイツ語で熊である。その昔現在のベルンを建設するにあたって猟をして最初に獲物になった動物の名前で呼ぼうとなったらしい。最初の獲物が熊だった。現在ベルンの町の外れの一角に熊が見世物とし飼われている。フォークナーの熊とは程遠いまるで物置きに置かれた着ぐるみの熊のようだ。しかしこの街誕生秘話を耳にすると誰もがフォークナーの熊を思い出すことだろう。
Berlin ユダヤ博物館新館 落ち葉
ベルリンのオストバンホフに程近いシュプレー河岸にラディアルシステムは在る。これはコンテンポラリーダンスの複合施設で劇場もあり毎日のように公演が行われている。春のベルリン滞在中に楽しみにしていたがタイミングが合わず行けず仕舞いだった。ところが初夏東京にサシャヴァルツの「身体」が来日。迷うことなく公演に出かけた。
薄型のカラッポの水槽をまるでそこになんらかの液体が存在するかのように裸体のダンサーたちがその水槽の天井から底から液体に自由を奪われるかのようにゆっくりゆっくりと現れる。二階の客席から観たのでそのスケール感はなかなかつかめなかったが高さ6m幅3mくらいはあっただろうか。暗闇の舞台に照らし出された水槽に裸体が十数体が所狭しと漂う。胎児のようにも死体のようにも見える。またその場面はすべて舞台の水槽の中である。観客席から隔てられた舞台からも隔てられた空間の出来事はまるで薄型液晶テレビに映しだされた映像のようでもある。それは時間も上下左右も保障されない常に捏造疑惑の付きまとう世界。
ユダヤ博物館新館も同じベルリンである。サシャバルツはこの空間をモチーフにこの「身体」を造ったという。2007年現在この博物館のもっとも大きな空間ヴォイドはMenashe Kadishmanのfallen leavesが占める。
サシャバルツ
ラディアルシステム
Roma サンカルロアレクアアトロフォンターネ教会
2007年9月13日木曜日
2007年9月12日水曜日
London ミレニアムブリッジ
Roma パンテオン
2007年9月11日火曜日
Palace project
2007年9月6日木曜日
2007年9月5日水曜日
2007年9月4日火曜日
Yucatan peninshula チチェンイツァー
Berlin ホーフ
Koln 街頭
とにかくケルンの中心部は街は賑やかだ。おそらくその一因はケルンの大聖堂であろう。ここから遠く離れたイタリアの花の都フィレンツェの中央駅はサンタマリアノベッラと呼ばれる。駅舎がサンタマリアノベッラのまん前にある。まるで教会のために決められたもののようであえる。ついでながらその首都ローマの中央駅は周りにはたくさんあるようだが何らかの施設のまん前に建てられた一見したところない。ところがしばらく前に中央駅を改装する機会がありその際に真下に古代ローマの遺跡が発見された。中央駅の地下街の一部に展示されている。いつの日かその遺跡にちなんだ名前に変わるかもしれない。日本の東京駅はこれは皇居の前に造られたものだ。大正時代に完成をみたこの中央駅は当時皇居側つまりいまの丸の内側にしか入り口はなかったし いまでいう八重洲口は皇居の堀の自分でその後に橋がかけられ入り口設けられ しかも民衆口と呼ばれた。
ケルンの大聖堂は駅前にそびえる。鉄道でケルンに到着するプラットフォームからその威風堂々したゴシックのシルエットが目にはいる。プラットフォームを覆う上屋にしても十分に意識したもののようだ。
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