2007年11月30日金曜日

Bern




2006年晩秋。場所はスイスの首都ベルン。
ベルンの街一番の目抜き通りは傾いている、そう聞けば日本の地方都市の商店街の
シャッター通りに象徴される商店街のおかれている厳しい状況を想像されるかもしれない。
傾きとはただ目抜き通りは坂道ということだ。中央駅付近から旧市街地の輪郭をなすアーレ川に架かる橋に出るまで休みなく続く。距離にして数キロに及んでいるだろう。道幅は15m程で車と路面電車が我が物顔で忙しなく往来する。歩行者は道の両側に隙間なく立ち並ぶ建物の一階が3mほどの歩道として開放していてその奥に商店が立ち並ぶいわばアーケードを行き交う。その様はパリのリヴォリ通りを想像してしてもらうといい。そこまで規律の正しくはないが美しい回廊だ。
しかし世界中にここまで長々してなくとも坂の街はたくさんある。一番の見所はその傾きにある。通りの大部分を占める車道は丘のうえにある中央駅から谷に向かって二点を定規を当てて結んだような傾きだ。ところがこのアーケードは商店街であるのでショッピングに適したような緩やかな傾きで造られている。車道とアーケードの傾きは並行ではない。しかしそれでは駅付近からアーケードに入ってしまえばいつまでたっても谷にたどり着くことができないことになるがそこは所々階段が設けられていて誤差は解消され車道とアーケードは平行に保たれている。この傾きの差異がこの目抜き通りに豊かな実りをもたらしている。だからこの長々とした坂道を下るにしても上るにしても気分は変わらず上々だ。公式サイトhttp://www.berninfo.com/en/weather.cfm

2007年11月27日火曜日








Vaux le vicomte ルノートルの庭








パリのリヨン駅から四十分ほどRERに揺られMelunへ。駅前でタクシーを捕まえて十五分ほどでシャトーに到着する。Vaux le vicomteの庭は後にヴェルサイユ宮殿の庭を手がけることになる庭園家ルノートルによるものだ.
駅から市街をぬけて幹線道路にでるまではパリ郊外によく見かける風景だ。幹線道路をしばらく行くと周りの景色は変わる。ぐっと視界が広がりどこまでも田園風景が広がっている。それほど動きのないその風景にときおり現れる手入れの行き届いた防風林や鄙びた小屋が遠近感を演出する。しばらく行くとタクシーの車窓は木漏れ陽に斑目になったかと思うとタクシーは巨大な並木のなかを走っていた。行けども行けども直線を進んでいるうちにこれがシャトーの言わば参道であることに気がついた。訪問者を一キロはあるだろう直線の並木道がお出迎えしてくれるのである。シャトーの門の前でタクシーを降り今来た路を振り返ってみるとそれが20m30mはあろうかという背高ノッポの並木だと知れる。それに皆同じほどの高さにそろっている。

この印象はシャトー内外を一回りしたあとに残った印象だが創造することだけでなく日々大きく変化し続ける生きる植物をある形をそれを後生まで維持できているすごさに圧倒される



入り口からすぐレストラン土産物屋馬車の資料館を抜けるとシャトーが姿を見せる。

目的の庭はシャトーから遙か向こう側
に幾何学的に広がっている。ゴルフ場のスケール感といううところか。まさしく帝国主義という概念はパースペクティブの中心のキングから外側に向かってパズルを埋めて行くようものであった。ここでは宮城シャトーという名のキングを中心に建築、階段、噴水、池、彫刻、植物でシンメトリーに構成されている。おそらくは当時はここに使用人が常にウロウロしていただろう。それはある物は植民地でありあるものは奴隷を演じているのだろう。帝国主義という図式の背骨がすべてを支えている。
公式サイト http://www.vaux-le-vicomte.com/

Paris シネマテークフランセーズ

フランソワトリュフォーの映画「夜霧の恋人たち」の日本版のポスターは数ある映画ポスターのなかでも印象的な図柄だ。パリが世界に誇るアイコンであるエッフェル塔が背景として使われている。確かにこの劇中の冒頭にエッフェル塔が登場するだけで終始舞台はパリにもかかわらずその後は出てこない。この映画はエッフェル塔よりも先にシネマテークフランセーズが登場する。登場時間もこちらのほうが長く先にあげた日本版ポスターも背景はシネマテークフランセーズでもよかったのではないかと思うほどだ。
何故エッフェル塔が登場するのは主人公アントワーヌが兵舎の留置場を出るところから始まるのだがその位置関係を説明するのにエッフェル塔を基点にカメラが留置場を捕らえる。ただの枕詞である。
 一方のシネマテークフランセーズは説明的に使われるでもなくただ冒頭に登場する。最後まで映画を見終わって意味が見出せるでもない。映画史を紐解いて「夜霧の恋人たち」撮影中に起きた事件を思いださなければならない。
ときのシネマテーク館長ラングロワが政府によって突然解任されたことに端を発する事件のオマージュだ。トリュフォーからゴダール、リベット、レネなどカイデシネマの連中を中心にフランスの映画界関係者、果てにニコラスレイまでもが集い政府に抗議した一連の事柄だ。
ドキュメンタリーが「夜霧の恋人たち」のDVDに収録されている。カメラはネストールアルメンドロス。
 そもそもラングロワが学生当時に始めたフィルムの収集からことから始まった。のみの市でがらくた同然に扱われていたフィルムを丹念に集めて上映することがトリュフォーやロメールやゴダールなど若かりし作家たちが歴史を学んだ。ヌーベルヴォーグという結晶を生み出す要因の一部となった。アンリラングロワが生みの親と目される所以だ。
 現在は当時の場所ではなくパリのベルシー地区の公園のフランクゲーリーの作である旧アメリカンセンターに入っている。2007年秋フランスを襲った大規模なストライキの影響で予定がたたずにふらっと訪れたシネマテークではあるフランス人役者の展覧会が行われていた。ちらしによると展覧会にあわせてワークショップが行われるということであった。特別ゲストの欄に目をやるとエリックロメールの名前があった。ロメールによるラングロワへのインタビュー映像を思い出した。


公式サイトhttp://www.cinematheque.fr/fr/la-cinematheque-francaise.html

2007年11月25日日曜日

Newyork Tim hawkinson




2005年新年ニューヨークにて。Tim Hawkinson展は会場であるWhitney museumを飛び出しミッドタウンのビルのアトリウムにも出現した。hawkinsonのモチーフには器官らしきものが多く観られる。しかも機械仕掛けで不器用な動きを伴い子供たちはおおいに喜ぶことだろう。現実の器官たとえば心臓や胃袋等々は内部で高度な働きで支えているものだ。それにしては作品は明らかに稚拙なつくりでヘタウマ感が大いに漂う。
 日常生活を送っている限りは人間の内部はブラックボックスであって自分の臓器や血管や胃袋を白日の下に晒す機会などない。あってもせいぜいレントゲン写真か胃カメラの映像くらいがせいぜいだろう。
作品のスケール感が大きいのでWhitneyの展示ではまさに人体に収められた器官のごとくぎゅうぎゅう詰めであった。周知のように人間の胃袋にしても取り出してみればその長さは何kmにも及ぶ。ここのアトリウムでは器官は伸び伸びと謳歌しその様は実に爽快であった。続く。。。。。。

2007年11月19日月曜日

Lucerne 文化センター


2007年11月18日日曜日

kyoto westin hotel


Kyoto westin hotel


Kyoto westin hotel




Kyoto 銀閣寺




2007年11月13日火曜日

Paris Hotel le walt

左岸のアンバリッドとエコールミリタリの間にホテルルウォルトは位置する。四つ星のちいさいホテルだ。入り口も地味で一見したところここがホテルということさえわからない。入口入ってすぐはレセプションになっていてその奥が中庭に面した食堂兼バーになっている。今回宿泊したのは最上階のテラス付きのシングルルームだ。部屋はとてもモダンでベットルームと広い洗面台とバスタブ。どちらもテラスに面しているのでとても明るい。そしてなんといっても目の前にはエッフェル塔が部屋をギラッとこちらを見下ろす。エッフェル塔はこの部屋のために用意されたかのと錯覚してしまうくらいだ。また見逃してはならないのが部屋から右岸のモンマルトルの方角に白く輝くサクレクールがみえることだ。
公式サイトhttp://www.hotel-lewalt.com/uk/galerie.htm









Lucern Hotel Pickwick



ホテルは一階を占める賑やかな酒場に数十の客室が親子亀のごとく乗っかっている。風呂なし食事なしレセプションなしの宿泊施設としては胸を張ったB級である。ただしA級の眺めあり。だからB級の評価になる。カペル橋はもちろんのこと川向こうにはルツェルン中央駅にジャンヌーベルの手がけた文化センターまでが窓枠を飾る。

2007年11月12日月曜日

Bern パウロクレーセンター















zentrum paul kleeすなわちクレーセンターはベルン郊外に位置する。センター内部のカフェテリアから外をみやればそこはのんびりした牛の姿が眺められる。センターの敷地幹線道路をはさんで向かい側の丘は牧場である。首都の郊外といっても日本のそれを想像していたらだめだ。ここは山と湖の田舎の国スイスである。
レンゾピアノの手によるこの建物は敷地一帯に広がるローリングヒルに抵抗することなくまさしくこの敷地のために生まれた形をとっている。うねる建物というよりはうねる構造体の隙間の空間が機能している。この一帯をひっくり返せば同じような構造体が取り出せるのではと想像してしまう。
クレーはドイツというイメージがあるが生まれ育ったのはスイスのベルン郊外だ。

2007年11月6日火曜日

Lyon 河岸


リヨンの始まりについての知識は乏しいがしかしパリがセーヌ河に浮かぶ今でいるシテ島に起源を持つのと同じく河に浮かんだ島にあるようだ。スケールは違うがその形状はどマンハッタン島に似て細長だ。2日ほど歩いた印象ではやはり丘らしいものもなく平坦だ。区画もやはり明確なグリッドでないにせよ直線的によく計画されたようなものだ。ただ大きく違うのは島の心臓部であるヨーロッパ最大といわれるベルクール広場に通じる巨大な大通りが背骨のように存在していることだ。もちろんマンハッタンにはブロードウェイつまり大通りが存在するにはする.....続く

2007年11月4日日曜日

NY ブルックリンブリッジ




「もうひとつの摩天楼」
ニューヨーク市は行政区分で5つのボーロウに分かれている。ブルックリンブリッジは中でもマンハッタンとブルックリンの二つのボーロウを結ぶ。

橋も摩天楼も鉄の賜物だ。

マンハッタンに架かる橋はどれも摩天楼を寝かしたようで、摩天楼ほど威張らないその様はちょうどインドシナの寝仏像を思い出す。続く。

Paris アンバリッド


アンバリッドの夜景。といってもわざわざアンバリッドを夜撮影しに出かけたわけでない。その日滞在したGrand hotel europeの部屋の窓からみた夜景だ。
写真の真中の薄赤色のぼやけた縦線は半開の窓の扉枠だ。その日予約していたエッフェル塔に近いホテルをたずねると事情があって空きがない.
別のホテルに部屋をとってあるからということで紹介された。息を呑むような眺めは不意に訪れた。