2008年6月1日日曜日
Paris エリセとキアロスタミ
2007年10月某日
その日のポンピドゥーセンターはアルベルトジャコメッティのアトリエ展の画始まったということで目当てのお客さんで大いに込み合っていた。同じフロアの小さいのギャラリーはひっそりとしていた。ともにマイノリティで今や映画界の巨匠でイベリア半島バスク人のビクトールエリセとイラン人のアッバスキアロスタミのコレスポンド展が会期中であった。展示会場の構成はドーナツ状になっていてエリセ半分キアロスタミ半分で分け合う形だ。キアロスタミ展示は真っ暗闇に映像と写真が浮かび上がっている。本人によると写真は映画をイメージするのに抜き差しならないものであると言う。おなじ映像作家で写真家としても知られるヴィムヴェンダースのそれはすさまじいまでの移動に次ぐ移動の人生を象徴するかのようだ。必要以上に縦長横長くパンニングのように切り取られた風景はあるいは写真機のシャッタースピードを持ってしても捕らえることのできないヴェンダースの早すぎる動きを象徴するものだろう。
一方キアロスタミの写真はお行儀よく標準的なフレームで切り取られている。モチーフは草原地帯の道のようだ。整備された道路ではなく車かあるいは人かあるいは動物の獣道だろうか。それはどちらでもいい。。故郷の地に腰を落ち着けて静かに物事の本質を見つめるキアロスタミの視線が世界の織り糸を露出させているかのごとくだ。
この展示の白眉はドーナツ状の展示会場の境目にある。キアロスタミとエリセ展示を遮るおおきな壁は両面にスクリーンがかけられていてそこにふたりの長年にわたる映像による往復書簡が流されている。これがコレスポンドである。書簡は短編だが長年続いているということで長時間にわたる映像だ。
キアロスタミがエリセの「マルメロの陽光」にオマージュをささげた映像は劇中画家アントニオロペスの描いたあの果実と思しきが強い風に吹かれて庭の垣根を越るところから始まる。坂を下り河原にでて小川に達して川下りを始める。早くいえばドングリコロコロである。
たったひとつの球体があれば映像など簡単につくれるマエストロの凄さを再認識するとともにこの世界はまだまだ目に見えない魅力が溢れている。顛末を言えば農夫が登場してして川下りする果実を拾い上げ口にする。ここで農夫がアラブ人である。ここがどうやらイランであろうことがわかる。
又別の書簡でエリセが空き瓶にキアロスタミ宛の手紙を詰めて海に投げ入れるとことからはじまる。ここで登場する海はおそらくはエリセの故郷バスクの海と想われる。その瓶が数ヶ月を経てアラブの海にたどり着くというなんともロマンチックな話である最後はアラブの漁船に引き上げられ陸にもどった船員がによって手紙がは取り出されて強風によって手紙だけが海の彼方にとばされてしまい最後か海底に落ち着く。。。もう少し続く。
PS 考えても見ればこの会場構成は両巨匠の書簡を象徴するだけでなく高所大所でいえばイベリア半島とアラブ世界の歴史を象徴していることでもあろう。レコンキスタを継ぎ目に両者はイベリア半島で繋がっているわけだ。
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