ジャコメッティのパリ時代を中心にスイスのスタンパでの幼少期から最後までが展望できる。
会場の最後には「終わりなきパリ」でなくスタンパのスケッチだった。スタンパのスケッチは幼少スタンパで描かれた印象画とでも言える自画像としたものとはまったく違っている。われわれのよく知っている魅了してやまない刀傷のような線だ。
ジャコメッティのパリ時代とはアンリカルティエブレソンやマンレイなどの作品集を見れば写真の現場に登場するアトリエの時間のことだ。
日本人でモデルともなった矢家原氏のジャコメッティとの時間の写真が文章とともにみすずから出版されているのでごった返しのアトリエは以前から見知っている風景だ。今回の会場にも矢内原モデルの作品が展示されていた。このパリのアトリエで生まれた無数の彫刻やスケッチの多くは日の目を観ている。それがダラスの美術館だったかロンドンのテートモダンかあるいはスイスのバイヤーファンデーションだったかパリでの生誕百年のジャコメッティ展だったか定かでないが幾度も出会っている。
今回もっとも興奮したのはアトリエそのものだ。あのアトリエを囲っていた壁が大事に保存されていた。ただの壁でない。そこには無数の刀傷が残っている。
別>ジャコメッティはスイスのタンパ出身のだ。今回の展覧会の入り口はそのタンパでの幼少期の作品に始まって最後はかの有名な終わりなきパリではなく晩年タンパにもどったときの作品に終わる。ジャコメッティのアトリエといえばパリのアトリエのことだ。アンリカルティエブレソンやマンレイの被写体としてたびたびメディアに登場していることでよく知られている。また日本においては一時期ジャコメティのモデルとなったことで知られる矢内原教授による記録がみすず書房から出版されている。その著書のなかで頻繁に写真で文章で登場する。今回の展覧会でも矢内原モデルのスケッチ、彫刻は展示されていた。
このアトリエを中心とした展示である。メディアのなかのジャコメッティのコーナーには頻繁に雑誌や新聞にとりあげられた当時の記事と著名な写真家たちによるジャコメッティの肖像がたくさんある。なかでもブレソンのジャコメッティの表情が飛び抜けていい。その瞬間まったく自然体のジャコメッティが色あせることなく蘇る。ブレソンの力を思い知る。ギャラリー中程にアトリエにの越されていた未完成完成の入り交じった彫刻や家具がアトリエの壁を背景に所狭しとならぶ。このアトリエの壁とはコンクリートの壁をアトリエ取り壊しの際まるでどこぞの墳墓の剥離作業家のように取り出された壁である。ただの壁ではない。そこにはジャコメッティのスケッチが無数書き込まれている。かぐにもやはりスケッチがのこる。となりにはこの壁の剥離作業のドキュメントが展示されている。やはり今回はこの壁の展示が中心であろうこれまで公開されたことは ないはずだ。
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