2007年10月30日火曜日

Paris カルチェ財団 ロックンロール展


幾多の美術家がかつてアトリエを構えたモンパルナスのカルチェ財団のギャラリーで「ロックンロール」展を観る。
会場にはロックロール創世記を飾るスターたちのレコードジャケットや当時の宣伝広告や新聞報道やショーで使われた衣装までが所狭しとならぶ。カルチェ財団のコレクションの幅の広さに驚かされた。
しかしただ懐かしのロックスターゆかりの品々が陳列されているのではない。そこにはっきりと透けて見えるのはロックンロールが音楽としての地位を得るまでの苦難の歴史だ。

2007年10月27日土曜日

Paris ケブランリー


2007年10月25日木曜日

2007年10月18日木曜日

Paris パリ管弦楽団


パリ管弦楽団の本拠地はSalle Pleyelはパリの凱旋門に程近い場所にある。
そう聞けば煌びやかな例えばシャンエリゼ通りを想像してしまう。たとえ立派な名前がつけられたものであってもパリのどこでもある普通の通りにある。さらにその構えは端的に言えば世界中のどこにでもある雑居ビルだ。だからよほど注意していないと通り過ぎてしまう。
ここが音楽堂であると一旦知れば周辺にそれらしく楽器店などがあることで他の通りとの違いは見出せる。
内部の構成は平面的にいえば通りの狭い歩道から入ってすぐのチケット引渡し窓口と売り場、地味な待合ホール、地味な音楽ホールといった具合だ。待合ホールは立体的になっていて奥は中二階になっていてスナック売り場になっている。 バックヤードはもちろん伺いしれない。続く。。。。。


Salle Pleyelはシャルルミンシュが初代指揮者を勤めその後も世界にその名を轟かせる楽団の住まいである。

パリ管弦楽団公式サイト
http://www.orchestredeparis.com/presse.htm

Paris ジャコメッティーのアトリエ

ジャコメッティのパリ時代を中心にスイスのスタンパでの幼少期から最後までが展望できる。
会場の最後には「終わりなきパリ」でなくスタンパのスケッチだった。スタンパのスケッチは幼少スタンパで描かれた印象画とでも言える自画像としたものとはまったく違っている。われわれのよく知っている魅了してやまない刀傷のような線だ。

ジャコメッティのパリ時代とはアンリカルティエブレソンやマンレイなどの作品集を見れば写真の現場に登場するアトリエの時間のことだ。
日本人でモデルともなった矢家原氏のジャコメッティとの時間の写真が文章とともにみすずから出版されているのでごった返しのアトリエは以前から見知っている風景だ。今回の会場にも矢内原モデルの作品が展示されていた。このパリのアトリエで生まれた無数の彫刻やスケッチの多くは日の目を観ている。それがダラスの美術館だったかロンドンのテートモダンかあるいはスイスのバイヤーファンデーションだったかパリでの生誕百年のジャコメッティ展だったか定かでないが幾度も出会っている。
今回もっとも興奮したのはアトリエそのものだ。あのアトリエを囲っていた壁が大事に保存されていた。ただの壁でない。そこには無数の刀傷が残っている。



別>ジャコメッティはスイスのタンパ出身のだ。今回の展覧会の入り口はそのタンパでの幼少期の作品に始まって最後はかの有名な終わりなきパリではなく晩年タンパにもどったときの作品に終わる。ジャコメッティのアトリエといえばパリのアトリエのことだ。アンリカルティエブレソンやマンレイの被写体としてたびたびメディアに登場していることでよく知られている。また日本においては一時期ジャコメティのモデルとなったことで知られる矢内原教授による記録がみすず書房から出版されている。その著書のなかで頻繁に写真で文章で登場する。今回の展覧会でも矢内原モデルのスケッチ、彫刻は展示されていた。
このアトリエを中心とした展示である。メディアのなかのジャコメッティのコーナーには頻繁に雑誌や新聞にとりあげられた当時の記事と著名な写真家たちによるジャコメッティの肖像がたくさんある。なかでもブレソンのジャコメッティの表情が飛び抜けていい。その瞬間まったく自然体のジャコメッティが色あせることなく蘇る。ブレソンの力を思い知る。ギャラリー中程にアトリエにの越されていた未完成完成の入り交じった彫刻や家具がアトリエの壁を背景に所狭しとならぶ。このアトリエの壁とはコンクリートの壁をアトリエ取り壊しの際まるでどこぞの墳墓の剥離作業家のように取り出された壁である。ただの壁ではない。そこにはジャコメッティのスケッチが無数書き込まれている。かぐにもやはりスケッチがのこる。となりにはこの壁の剥離作業のドキュメントが展示されている。やはり今回はこの壁の展示が中心であろうこれまで公開されたことは ないはずだ。

2007年10月17日水曜日

Paris サシャ バルツ&ワレリーゲルギエフ


■ベルリオーズ ロミオとジュリエットパリのバスティーユ広場に面して新国立オペラ劇場はある。バスティーユはフランス革命の発端を演じた監獄のあった場所だ 今は当時の面影はなく広場の中央には記念碑がっっていることくらいだろう。劇場の二階にはバーカウンターがあって広場側は全面ガラス張りで特に日が暮れてからライトアップされたこの巨大な記念碑が圧倒な存在感を演出する。舞台上には終始巨大な白い板9m角くらいが置かれているだけのシンプルなものだ。目を凝らすと板から天井に向けてワイヤーが見える。なにやら仕掛けがあるらしい。案の上白い板は持ち上げられてときには苦難の二人の茨の道を象徴する坂になり、ときには舞台とバックステージを緩やかに繋ぐ仕切壁のようにもなり、ときには宙吊りになりダンサーたちに舞台上の舞台となる。東京での身体ケルパーにも舞台には一枚の壁が舞台の上で主役となっていたことを思い出す。ダンスはサシャバルツの演出ではある。ケルパーではダンサー強いる強烈な痛みが空気の振動でホールは充満していた。今回の演目はオペラ劇場お抱えのダンサーたちだ。サシャバルツお抱えでなく


関連記事

パリ バスティーユオペラ座公式サイト
http://www.operadeparis.fr/Saison-2007-2008/Biographie.asp?IdS=368&BId=219
サシャヴァルツ公式サイト
http://www.sashawaltz.de/a01.php
記事
http://babel.altavista.com/babelfish/trurl_pagecontent?lp=es_en&url=http%3A%2F%2Fwww.danzaballet.com%2Fmodules.php%3Fname%3DNews%26file%3Darticle%26sid%3D1622

2007年10月15日月曜日

Paris gare de lyon

幾多の今はその名前を世界に轟かせる芸術家たちはまずこの駅に降り立った。まさしくパリの玄関であったと聞く。今もなお現役のパリの玄関のひとつには違いない。そのリヨン駅の裏手にフランス革命の発端で知られるバスティーユのあたりまでかつての鉄道の高架橋のがある。これはすでに現役を退いているにもかかわらずそこにありつづけている。だがそこはさすがにリノベーションに長けた国であるアーチ状にくり貫かれた高架下はレストランやギャラリーといったテナントで埋め尽くされる。さらには線路の敷かれていた高架上は遊歩道と公園の間の子になって生き生きとしている。ここは地上かと思わせてくれるほどにしつらえもよいがそこに生息する植物も大変にのびのびとやっている。もちろん太陽に接吻をしてもらわなければやっていけない植物たちは太陽に近づくわけで生き生きするのも無理はないことだ。

2007年10月11日木曜日

Dallas traffic jam

2007年10月10日水曜日

Dallas

「トークラジオ」はテキサス州ダラスを拠点とする地方放送局のある番組をめぐる映画だ。エクソンモービルやアメリカン航空など世界的な企業が本社をおいている砂漠のなかの都市だ。またその空港も全米一の離発着量を誇る。南部を代表する都市のひとつに数えられる。だがその広さといえばいずれかの摩天楼の高層階にあがれば街は一望でき、その向こう側に広がる地平線も容易に見渡せる。
映画はダラスの摩天楼から始まり、摩天楼に終わところは執拗に摩天楼を追いかけている印象さえある。摩天楼を追いかけとは摩天楼を取り巻く間を追いかけることでもある。なかなか言葉に落とすことのできないダラスをみせてくれる。この映画はダラスの空気を吸って生きている。
この番組は毒舌ホストと電話の向こうのリスナーとのいいたい放題をライブのオンエアーが目玉だ。
劇中の十中八九はトークが占める。息をつく暇もないその内容にその音声にも飽き飽きさせられ 時には耳をふさぎたくなる。裏を返せばその少々オーバーな演出を引いたとしても大変な熱演だ。それもそうでこの主人公を演じる俳優は自作自演で舞台をやっていたのをオリバーストーンが映画化したものでなるほど演技に地に足が着いている。
劇中最後のダラスの摩天楼街は驚くほど静かだ。決して息がつけるわけではない。ダラスの夜の摩天楼を背景にトークは最後まで続く。だが静かだ。音声を載せた電波の飛び交う摩天楼街は大変に静かだ。
★以前にある競技設計である提案者がたとえばひとつの空間を共有するのに壁がなくとも両者に距離というか広さがあれば成立するのではないかというものだった。それがなんとなくこの街にあるのかもしれない。

2007年10月9日火曜日

2007年10月1日月曜日

Naples パエストゥムの遺跡


ギリシャの植民地パエストゥムの遺跡。