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2008年6月2日月曜日

Essen 工場跡地



2007年12月17日月曜日

Berlin ユダヤ博物館別館の庭



ベルリンの空白について

ベルリンが再びドイツの首都としてEUの首都として蘇えることを可能にしたひとつの要因として奇妙だが東西を分断していた壁の存在があげられる
壁はまさにベルリンのド真ん中を横断していたそれでいて壁とひとことでいってはいるが実際には地雷の埋まった緩衝地帯を壁が両側から挟み込んだものだった。だから壁が取り壊された後ベルリンのど真ん中には巨大な空白が生まれた。
冷戦下西ドイツは首都をボンに置いた。ベルリンには再び受け入れる場所が必要であった。魚心あれば水心である。
現在ベルリン再復興の象徴であるポツダム広場も巨大な空き地であった。映画「ベルリン天使の詩」でその眺めを見つけようとするとハンスシャーロンによるベルリンフィルの黄色建物を目印にすればいい。続く。。。。。。

Berlin ホロコーストメモリアル



ベルリンの都心部ポツダム広場に程近い場所にホロコーストメモリアルはある。地上の広場と地下の情報センターによって構成されている。地上の眺めはさながら墓地のようだ。






2007年12月9日日曜日

Berlin ジーゲスゾイレから

Berlin ジーゲスゾイレ


ジーゲスゾイレは1830年代からベルリンを天空から見守り続ける。
ベルリンは黄金色の天使の街だ。

天使の足元が展望台として解放されている現在土産物で手に入る歴史地図で東西ベルリンの線引きの位置を確認しながら眺めることもできる。この高さからなら今もなお壁が東西を隔ていたとしてもとるに足らない線にしか見えないだろう。真下を走る車は数百分の一の模型の車にしか見えない世界だ。同じように下界を見つめる天使にとってもやはり取るに足らないものであっただろう。
展望台からのビスタは360度開かれていてティーアガーテンから向こう側にポツダム広場にアレクサンダー広場にテレビ塔に旧帝国議会議事堂等々が視界に入ってくる。
「ベルリン天使の詩」が作られたのは東西の壁は現役だった80年代後半だ。監督のヴィムヴェンダースによるとジーゲスゾイレのみならずベルリンの至る所に存在する天使に着想を得たと言う。当初ロケは西側に留まらず東側でも撮影することで天使の所以を表現する企てであったが交渉の末実現しなかった。口悪く言えば「西ベルリン天使の詩」と言ってしまってもいい。劇中天使という超越的な存在を表現するのに二重露出が誰がたびたび使われている。カメラマンを勤めたアンリアルカンが事後のフィルム加工を拒んだためにという説明があったが当初の企て通り東側での撮影が実現していれば壁のこちらとあちらの往来を表現するのにも同じ手法が使われたことだろう。結局劇中天使は一部セットを組立て東西の中立地帯を天使が歩くシーンだけで東側には立ち入らない。
劇中のに登場するのはオットーザンダーにブルーノガンツら演じる人間と等身大の天使である。
そのせいか人間の行動を阻むように作られた壁を越えることはできなかったわけだ。実際ベルリン市街から眺める天使はまことに小さくみえる。しかし険しい階段を一気に駆け上がり黄金色の天使の足元まで近づいてみると大変な大きさと直ちにわかる。劇中このスケール感の天使が設定されていればきっと東西の壁など取るにたらないものだったろう。

Berlin

2007年9月25日火曜日

2007年9月18日火曜日

Berlin 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」




その日ジョルジュスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に出会った。場所はベルリンの国立新ギャラリーの地下のギャラリー。印象派と呼ばれる作品はその多くが明るい。彼らが躍動した時代あらゆる分野で扉が開かれ、美術の世界も新しい時代の到来への予感に溢れていたということだろうか。この「グランジャット」は白い下地に点描で描かれていていて尚更ら明るい。もしキャンバスに近づけば近づくほど全体からは遠ざかっていく。木を見て森を見ずということになろうか。


この作品は本来ニューヨークのメトロポリタン美術館の所蔵品だ。その日のギャラリーは「アメリカに渡ったフランスの印象派たち」なる企画展の真っ最中だった。この建築もまた「アメリカに渡ったドイツ人」であるミースファンデルローエによるものだ。これはハードもソフトも遥遥新大陸から旧大陸への里帰り事業なのだ。

Berlin ユダヤ博物館新館 落ち葉




ベルリンのオストバンホフに程近いシュプレー河岸にラディアルシステムは在る。これはコンテンポラリーダンスの複合施設で劇場もあり毎日のように公演が行われている。春のベルリン滞在中に楽しみにしていたがタイミングが合わず行けず仕舞いだった。ところが初夏東京にサシャヴァルツの「身体」が来日。迷うことなく公演に出かけた。

薄型のカラッポの水槽をまるでそこになんらかの液体が存在するかのように裸体のダンサーたちがその水槽の天井から底から液体に自由を奪われるかのようにゆっくりゆっくりと現れる。二階の客席から観たのでそのスケール感はなかなかつかめなかったが高さ6m幅3mくらいはあっただろうか。暗闇の舞台に照らし出された水槽に裸体が十数体が所狭しと漂う。胎児のようにも死体のようにも見える。またその場面はすべて舞台の水槽の中である。観客席から隔てられた舞台からも隔てられた空間の出来事はまるで薄型液晶テレビに映しだされた映像のようでもある。それは時間も上下左右も保障されない常に捏造疑惑の付きまとう世界。


ユダヤ博物館新館も同じベルリンである。サシャバルツはこの空間をモチーフにこの「身体」を造ったという。2007年現在この博物館のもっとも大きな空間ヴォイドはMenashe Kadishmanのfallen leavesが占める。






サシャバルツ

ラディアルシステム 

2007年9月11日火曜日

Palace project


イリア カバコフのプロジェクト。内部はカバコフのこれまでに日の目をみることのない数々のプロジェクトが展示されている。言わばカバコフの流産した胎児達はソビエト史上もっともアイコニックな未完のプロジェクト、ウラジミールタトリンの第三インターナショナルをモチーフとした上屋に守られている。

2007年9月4日火曜日

Koln ケルン中央駅