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2007年12月17日月曜日

Berlin ユダヤ博物館別館の庭



ベルリンの空白について

ベルリンが再びドイツの首都としてEUの首都として蘇えることを可能にしたひとつの要因として奇妙だが東西を分断していた壁の存在があげられる
壁はまさにベルリンのド真ん中を横断していたそれでいて壁とひとことでいってはいるが実際には地雷の埋まった緩衝地帯を壁が両側から挟み込んだものだった。だから壁が取り壊された後ベルリンのど真ん中には巨大な空白が生まれた。
冷戦下西ドイツは首都をボンに置いた。ベルリンには再び受け入れる場所が必要であった。魚心あれば水心である。
現在ベルリン再復興の象徴であるポツダム広場も巨大な空き地であった。映画「ベルリン天使の詩」でその眺めを見つけようとするとハンスシャーロンによるベルリンフィルの黄色建物を目印にすればいい。続く。。。。。。

Berlin ホロコーストメモリアル



ベルリンの都心部ポツダム広場に程近い場所にホロコーストメモリアルはある。地上の広場と地下の情報センターによって構成されている。地上の眺めはさながら墓地のようだ。






2007年12月6日木曜日

2007年11月27日火曜日

Vaux le vicomte ルノートルの庭








パリのリヨン駅から四十分ほどRERに揺られMelunへ。駅前でタクシーを捕まえて十五分ほどでシャトーに到着する。Vaux le vicomteの庭は後にヴェルサイユ宮殿の庭を手がけることになる庭園家ルノートルによるものだ.
駅から市街をぬけて幹線道路にでるまではパリ郊外によく見かける風景だ。幹線道路をしばらく行くと周りの景色は変わる。ぐっと視界が広がりどこまでも田園風景が広がっている。それほど動きのないその風景にときおり現れる手入れの行き届いた防風林や鄙びた小屋が遠近感を演出する。しばらく行くとタクシーの車窓は木漏れ陽に斑目になったかと思うとタクシーは巨大な並木のなかを走っていた。行けども行けども直線を進んでいるうちにこれがシャトーの言わば参道であることに気がついた。訪問者を一キロはあるだろう直線の並木道がお出迎えしてくれるのである。シャトーの門の前でタクシーを降り今来た路を振り返ってみるとそれが20m30mはあろうかという背高ノッポの並木だと知れる。それに皆同じほどの高さにそろっている。

この印象はシャトー内外を一回りしたあとに残った印象だが創造することだけでなく日々大きく変化し続ける生きる植物をある形をそれを後生まで維持できているすごさに圧倒される



入り口からすぐレストラン土産物屋馬車の資料館を抜けるとシャトーが姿を見せる。

目的の庭はシャトーから遙か向こう側
に幾何学的に広がっている。ゴルフ場のスケール感といううところか。まさしく帝国主義という概念はパースペクティブの中心のキングから外側に向かってパズルを埋めて行くようものであった。ここでは宮城シャトーという名のキングを中心に建築、階段、噴水、池、彫刻、植物でシンメトリーに構成されている。おそらくは当時はここに使用人が常にウロウロしていただろう。それはある物は植民地でありあるものは奴隷を演じているのだろう。帝国主義という図式の背骨がすべてを支えている。
公式サイト http://www.vaux-le-vicomte.com/

2007年11月18日日曜日

Kyoto westin hotel




Kyoto 銀閣寺




2007年11月12日月曜日

Bern パウロクレーセンター















zentrum paul kleeすなわちクレーセンターはベルン郊外に位置する。センター内部のカフェテリアから外をみやればそこはのんびりした牛の姿が眺められる。センターの敷地幹線道路をはさんで向かい側の丘は牧場である。首都の郊外といっても日本のそれを想像していたらだめだ。ここは山と湖の田舎の国スイスである。
レンゾピアノの手によるこの建物は敷地一帯に広がるローリングヒルに抵抗することなくまさしくこの敷地のために生まれた形をとっている。うねる建物というよりはうねる構造体の隙間の空間が機能している。この一帯をひっくり返せば同じような構造体が取り出せるのではと想像してしまう。
クレーはドイツというイメージがあるが生まれ育ったのはスイスのベルン郊外だ。

2007年9月18日火曜日

Paris ラヴィレット公園


ラヴィレット公園のフォーリー