2008年1月30日水曜日
2008年1月23日水曜日
Shanghai 人民広場
これをマンハッタンのセントラルパークに面した一室からの眺めだと言ってもそれほど違和感はないはずだ。碁盤の目状の理路整然とした街路が織り成す摩天楼群にしては目を凝らして観ると多少パラパラした感じが残るかもしれない。実際は上海の中心部に位置する人民広場に面した一室からの眺めだ。同じように都市公園の代表格ともいえるセントラルパークはすでに公園を計画する段階で碁盤の目が存在したためにトレースすることになった。ゆえに四隅をもつ長方形をなしている。この人民広場は何やらカーブを描いている。このカーブが周辺の摩天楼に波及しほどほど魅力的な眺めを作り出している。時は19世紀英国人がこの上海に進出し租界として住みいいように整備した。彼らにとって必要不可欠なものに競馬場があった。マンハッタンではセントラルパークが産声をあげたころはここ上海では馬が駆け回り人々は熱狂した。競馬場は取り壊されそこは人民広場となった。このカーブは幾多の馬が人々の夢を乗せて駆け抜けていった記憶今に伝える数少ない証人である。
2008年1月22日火曜日
Shanghai 浦東
上海の中心から東に位置する浦東に上海国際空港はある。地図上で確認すると東シナ海も目前にある。そう考えると屋根の形状は波を意識したような形状にも見えてくる。色彩もたしかに水色だ。構造材に目をやれば中国の伝統的な何とかと呼ばれる楽器を思い出させる。
写真はNW航空のラウンジで撮影したものだ。ビジネスクラスのラウンジは一般的に空港構内の喧噪から隔絶されている。空港によっては搭乗口のロビーの二階のさらに奥まったところにある場合もしばしばだ。
一歩なかに入れば大抵はガラス越しに飛行機の離発着が見渡せるものの空港内の空気はよくわからない。ぼけっと時間を過ごしているうちに一瞬ここはどこの国だったか吹っ飛んでしまうことさえある。インテリアに目をやっても世界中どこも大差なく、目の前を横切る飛行機もラウンジ内のお客さんも国際色豊かで判断材料になりにくい。ビジネスラウンジはどこでもないホワイトボックスである。
この上海のラウンジはガラス張りで構内を行き交う喧噪に面している。しかしただガラス張りで内外が完全に見通せるわけでなく植栽がおかれており緩やかなに遮られてはいる。写真を見てのとおりこのラウンジには天井はない。音はかまわず入ってくる。天井を設けていないのは空港全体を覆う青色の天井を取り込んでいるに違いない。珍しくホワイトキューブを指向しているようすがない。ユニークなラウンジに出会える空港だ。
2008年1月21日月曜日
Shanghai 空飛ぶ朱色の玉葱
2008年1月20日日曜日
Shanghai カーテンコール
Shanghai 新天地
新天地は北側と南側の二つのレンガ色の街区によって構成される。そのたたずまいは旧租界の雰囲気だ。ちょうど二つを隔てる道沿いに街区に溶け込んでいるがしかし他に比べて商売気のない雰囲気が漂う建物がある。
入り口に目をやると看板に共産党の文字が躍る。共産党関連の施設であることがただちに知れる。
ガイドブックによると未遂に終わったが1921年中国共産党の最初の党大会が企てられた場所であり現在中国共産党発祥の地という位置づけであるという。スターバックやレストランやブランドショップが立ち並ぶがここはただの一テナントではない。
昔教室のスライドで見た著名な建築家による住宅のプレゼンテーションを思い出した。ルコルビュジェのプレゼンだ。施主に頼まれたのは単体の一つの住宅のなのだが対象の敷地の前後左右見渡す限り等間隔に同じ住宅を建設したいという未来図だ。少なからず衝撃的を受けた。それは建築家は施主のためにいるのでなく同時に大きな社会性を帯びた職業であるということが暗示されているように思えた。。。。続く
2008年1月18日金曜日
Shanghai Le Meridian Hotel
南京東路のメリディアンホテルは六十階を越える高さをもって街を見下ろす。世界中の資本のホテルが林立するここ上海にあってかつて清朝の土地を借り上げ租界を築いたフランスの系統のホテルから眺めるということがまた格別だ。
At a height of over 60 floors, the Meridian hotel on the Najing road east pierces the sky and towers over the town.
In shanghai there is an area known as the foreign capital.here you can find many foreign owend hotels.In particular there is a french hotel that is located in the biggest french settlement which was leased to the french community by the Ching monarch, I was excited to see this unique settelment.
2008年1月9日水曜日
Newyork Bestwestern hospitality house
今やアメリカ合衆国のみならず世界中に展開するベストウエスタン系のホテルがニューヨークには数多く存在する。
マンハッタンのミッドタウンにあるホスピタリティーハウスもその一つだ。マンハッタンには数少ないプチホテルの部類だろうそのレンガ色の小さな建物は外見に似合わない広々とした部屋を備えている。すべてがスイートルームで台所付きだ。
2005年新年滞在したときには予約をしていたはずの部屋に空きないということで最上階のペントハウスに通された。二つの寝室、居間、台所それに外側に360度テラスが備わったまさにペントハウスだ。普段ホテルの部屋からの眺めを撮ろうとすると間違いなく写真には窓か扉から離れられない。ところがこのときは部屋を飛び出しテラスからマンハッタンの摩天楼を仰ぎ撮ることができた。
本当にウエスタンつまり西洋で最上かは問うことはしないにせよ
何度も利用したくなるホテルだ。
Mexico city ディエゴリベラとフリーダカーロのアトリエ
アメリカ大陸最大級の広場であるソカロは昼夜を問わず人に溢れる。地下に拡がる広大な迷路のような空間は人と物に溢れ熱気は快刀乱麻に混乱し逃げ場を失っている。それにいくらソカロという巨大な傘の下にあるとは言え背伸びをすれば小さな子供でも太陽と抱擁することができるような日差しも相まってマグマのように暑い。数少ない地下からソカロの階段に絶え間なく人が吹き上がるさまを目にするとメキシコシティの前世である古都テノティトランが火山山頂の湖を埋め立て建設されたことを思い出される。そんな街にも閑静な地区もある。そのひとつサンアルヘル地区を散策すると溶岩台地がむき出しになっている場所を多々出会う。大昔火口から流れ出した溶岩が固まった台地だ。ルイスバラガンの高名な宅地開発エルペドレガルもまた同じ地形を活用したものだ。ディエゴリベラとフリーダカーロのアトリエはサンアルヘル地区にあり今では主人をなくした二つのアトリエは静寂に沈んでいる。同じメキシコシティにあるフリーダの生家、青の家のフリーダが人生最後のときを過ごしたとされるベットはまだ暖かいといわれているのとは対照的だ。
生前二人はマグマのようだったアトリエを囲むのはサボテンという名の刺刺しい緑色のバーブドワイヤーが周辺との違和感を今に伝える証人に見える。
登録:
投稿 (Atom)